松浦俊介Top「日記・コラム」ダイジェスト>平成15年7月28日(月)

フセイン息子の写真



フセインの息子の遺体を写した写真が
物議をかもしている。

いくら極悪人といえども、
尊厳を傷つけるものだという論調だ。

アメリカ政府は、遺体の写真を公開した理由として
本当に死んだことをイラク国民に
知ってもらう必要があったからという。

そりゃそうだろうな。
俺だって大量破壊兵器を保持しているなんて
戦争始めたアメリカの言うことなんて
信じないからな。

フセインなんていいから、早く大量破壊兵器の
証拠を発見、写真やVTRを流してくれよ。
もう4ヶ月もたっているじゃないか。
大量破壊兵器の実物でなくても作っていた工場なり、倉庫なり、
材料なり、基地なり、何か出てこないのか。
放射性物質さえ出てきてないじゃないか。
フセインは動いてるかもしれないが、
大量破壊兵器の工場は動かないだろう。

まぁ、それはそれとして、
私はフセイン息子の遺体写真は、
別に公開するのに問題ないと思う。

だってルーマニアのチャウシェスク大統領の
銃殺刑後の遺体の写真だって新聞やテレビで
報道されたと思う。

カンボジアのポルポトの死亡後の遺体の映像だって
報道された。

チャウシェスクの場合、国民からの民主化による結果だし、
ポルポトは殺されたわけではないと思ったけど、
一国の元首やそれに近い人間の生死は、
少なくとも国民の知る権利だと思う。

日本のように民主化された近代国家なら、
例えば天皇陛下が崩御された、
小渕首相が亡くなったと言えば、
そうなのかなとは思うが、
民主化されていない国では、
「独裁者が死にました」なんていっても信用しないだろうから、
遺体の写真は重要な証拠として、公開されて当然だろう。

そもそも、昔から戦場報道写真には、殺されるシーンや
遺体の写真がつきものだ。

ピュリツァー賞に選ばれるような写真は、
生と死の瞬間を撮ったものが数多くある。

ロバート・キャパの写真やベトコンの銃殺シーンの写真など
その人の死自体は、一瞬で終わるものかもしれないが、
我々は、その写真を通じて、戦争の恐ろしさを
戒めることが出来る。その人の死は決して無駄ではない。
後世にそのメッセージを伝える。

ではフセインの息子、ウダイとクサイの遺体写真は
後世にどういう風に伝えられるのだろうか。
イラク国民を苦しめた張本人としてか、
それとも、アメリカ侵略戦争の犠牲者か・・



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