松浦俊介Top「日記・コラム」ダイジェスト>平成15年7月30日(水)

工作船見学



28日、国会見学の後、高校生を連れて
工作船を見にいった。

地下鉄で、新橋まで出て、ゆりかもめで船の科学館へ。

改札を出ると、工作船への順路の看板があった。
工作船に着く前に、まず驚いたのが
戦艦陸奥の主砲である。

全長20メートル近い砲身が
東京湾に向かって睨みをきかせている。

韮山代官江川坦庵のつくったお台場に
今は陸奥の主砲が展示してあるとは・・
ちなみに射程は37.9km

その主砲の先端の向こうに工作船が展示してあった。
展示開始当初は、数時間の順番待ちだったそうだが、
平日の昼だし、6月よりもう2ヶ月近くたっていたせいか、
並ぶことなく普通に見れた。

全長約30メートルの工作船は、
錆付いて鉄くずになっていた。
海上保安庁巡視船との壮絶な戦闘を物語るように
弾痕が船体のいたるところに無数に空いていた。

また、第2展示場として近くの羊蹄丸に
船内の備品などが展示してあった。

数々の武器や水中スクーター、その他工作員の
衣類なども展示してあった。

高校生に感想を聞いたら、
日本製の物が多くてびっくりしたという。

無線などの機器類・メカの類はナショナルやシャープなど
日本製だらけで、とりめしの缶詰まで日本製である。

日本製品で日本で工作活動されているのだから、
日本という国はお人よしの国である。

工作船後部の観音開きの前に
日本財団会長 曽野綾子氏のメッセージで
「九州南西海域で沈んだ朝鮮民主主義人民共和国の
若者たちに捧げる」とあり、
花が手向けられている。

以前にも紹介した工作員だった安明進氏の
「北朝鮮拉致工作員」(徳間書店)によると
彼は、成績優秀・体力・体格も良かったため、
本人の意思とは関係なく、
強制的に金正日政治軍事大学という
工作員養成大学へ入学することになり、
両親に会うことも一切出来ず、
その存在すら北朝鮮社会から消され、
想像を絶するスパイ養成訓練を受けてきた。

彼は、工作活動として決死の覚悟で軍事境界線を渡り
韓国へ入りそのまま亡命した。

拉致された日本人も被害者、
拉致をした工作員も人生を奪われた被害者だ。



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