松浦俊介Top「コラム」ダイジェスト>平成16年7月5日(月)

知覧町へ



植林委員会の視察で鹿児島県知覧町へ寄った。
鹿児島県にはこれまでも来たことはあるが、
知覧町は初めてだ。

知覧町は、大東亜戦争末期、陸軍特攻基地のあったところだ。
現在は、特攻平和会館という資料館などが建設され、
沖縄特攻で散華された1,036柱の隊員の遺影、遺書・絶筆、
遺書、記録映像などが収集・保存・展示してある。

訪れたのが、土曜日というのもあり、かなりの人で
ごった返していた。
年齢層としては、年配の方がやっぱり多いのだが、
若い人もけっこういた。

1時間くらいはいたのだろうか?
時間がきて半分も見れずに移動になってしまった。
また、来てじっくり見なければならない。

小学生の頃から歴史には興味があったので、
特攻隊については当時から関心があった。

最近、この特攻隊について思うのは、
誤解を恐れずに書けば
究極のボランティアではないかということだ。

ボランティアの語源は、ラテン語で「自由意志」という
意味のほかに、志願兵、義勇兵みたいな意味があるという。

爆弾抱えて敵艦に突っ込むなんて
こんな理不尽なことはない。
未来の人間である私からすれば、
歴史を振り返って、こんな行為までして
戦争を続けていたことを理解するのは難しい。

しかし、そうした国の方針は別にしても
知覧から出撃して亡くなった1036人ほか
多くの特攻隊員の遺志は
忘れてはならないし、
そうした想いを知っていれば、
未来を生きる私達は、この日本に生きる
責任をもっと深く感じると思う。

こんなこと書くと、私をいぶかしげに思うだろうが、
私は、日本には1年間くらいの「兵役」は必要だと思う。
日本には、軍隊がないので兵役と言う言葉が
正しいかどうか分からないが、
最近特に実感する。

兵役なんて言うと、若者を戦場に送り出すようなイメージがある。
軍国主義くさく思われるかもしれない。
が、しかし、私はそうだとは思わない。
むしろ戦争をしないためにも兵役は必要かもしれない。

怖いのは、戦争について無関心・無知になることで
国民ひとりひとりが
戦争について深く考えることが重要なことだと思う。

兵役といっても、
機関銃の撃ち方や戦車の使い方の訓練を受けることより、
有事や安全保障、国際関係の勉強をしたり、
大規模災害時なども想定した人道支援、復興支援活動の
訓練を受けたり、応急救護や救命のための講習を受けたり、
果ては、消防団員の減少も全国的な課題だから、
消火活動の訓練も重要になるだろう。

こうした訓練が、
少なくとも東海地震のように大規模災害が起きた際に、
大変役に立つことは間違いないように思う。

1年間でどれだけの訓練や勉強を受けれるか分からないが、
日本人男性が、義務としてこうした訓練を受けることは、
社会が多様化しているからこそ必要になってくるような気がする。

ちなみにドイツは満18歳の男性は10ヶ月(女性の妊娠期間)の
兵役の義務を負うが、
宗教的・政治的な理由、自己の人道的・経験的動機などから
良心的兵役の拒否をすることができる。

その場合、13ヶ月の代替役務をすることになるのだが、
具体的には、老人ホームでの介護などの福祉施設、
環境保護団体、海外で活動するNPOなどに従事する
ことも可能である。

日本でもこうしたドイツの例を参考にしてもいいのではないか?
なんて言う国会議員がいたら、
間違いなくマスコミから袋たたきにあい、
参議院選挙真っ只中の今、
こんな発言をする候補者がいたら落選し、
その所属政党は、票を激減させてしまうかな。

特攻隊を究極のボランティアだと述べたが、
戦争でなくても特攻隊に近いものは考えられる。

日本の話ではないが、例えば、旧ソ連邦のウクライナ共和国で
1986年4月に起こったチェルノブイリ原発事故。
その時亡くなった方の公式人数は31人だが、
この中には原発職員のほかに消防士などが含まれる。

メルトダウンしている原発の消火活動など
死ぬことを覚悟していないと出来ない作業だ。

また、その後、この原発を覆う石棺工事など
後始末に従事した人が数十万人いたとされるが、
そのうち5万人が亡くなっているという情報もある。

旧ソ連邦ということで、こうしたことが起きても
国家的な力で消火活動、事後処理をやってしまったが、
万が一、日本でこのようなことが起きた場合、
誰が火を消しに行くんだろう?

ウクライナ共和国の人や旧ソ連邦の人たちは、
こうしたチェルノブイリ原発の消火活動や事後処理活動で
亡くなった方たちのことを忘れてはならないと思う。

話を元に戻して、特攻隊員達だが、知覧基地から
出撃した特攻隊員は、47都道府県、全国から集まっているし、
11名の朝鮮民族の方もいた。
見学したみんなの話を総合すると
清水町の人はいないが、裾野市・三島市・函南町の人がいたのは
確認できた。

帰りの羽田空港から京浜急行に乗って品川に向かっている車中で、
電車の中でパンを食べている高校生がいた。

約60年前、同じくらいの17〜18歳の若者が特攻隊として
亡くなっている現実に直面してきたばかりで、
彼らが未来のこうした同世代の人間のために
命を散らしたかと思うと悲しくなる。

(余談)
平成13年の10月にフィリピンに行った。
目的は、昭和19年10月に海軍マバラカット飛行場から出撃した
最初の神風特別攻撃隊の慰霊祭に参加するためだった。

フィリピンでは、友人の計らいで
大統領官邸であるマラカニアン宮殿を訪問したり、
暗殺されたご主人の遺品と共に
さまざまな資料が展示されたアキノ記念館を
アキノ元大統領の説明で案内してもらった。
写真館の一番下に掲載されているアキノ元大統領と
握手している写真はその時のものである。

(おまけ)
九州では、政党や候補者の選挙ポスターが
国道など道路の街路樹などにフツー立てかけてある。
それってアリ?

◎知覧町
http://www.town.chiran.kagoshima.jp/index2.html

◎最初の特攻
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5410/saisho_no_tokko/saisho_no_tokko.html



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