松浦俊介Top「コラム」ダイジェスト>平成17年5月2日(月)

分水嶺



仕事である方とお話ししている中で、
昨日の私の日記のことについてきかれた。

ベトナムの話をしていて改めて思ったのだが、
ベトナムへ行ったことは、私の人生において
分水嶺だとつくづく思った。

ベトナムへ行っていなかったら、
その時勤めていた東京の特別養護老人ホームも
辞めなかったかもしれない。

ウォーター・ビジョンが静岡県で最初にNPO法人に認証されようが、
帰郷しなかったかもしれない。

すると、現在、こうして町議会議員をやってることもないし、
役場の職員のみなさんも私の一般質問で
頭を悩ますこともなかったかもしれない。

でも、ベトナムへ行けたのは、特別養護老人ホームに勤めていたから
かもしれないので、就職がやはり大きな分水嶺だったかもしれない。

ちなみに私は、就職が決まったのが大学4年の2月だ。
老人介護の仕事をしようと決めたのが大学4年12月だから、
それまで自分がどんな仕事がしたいのか
よくわかっていなかった。

仲間はみんな就職先が決まっていた。
それでも私はぜんぜん焦っていなかった。

大学4年の12月に就職指導課で見つけたパンフレットで、
東京都の福祉人材センターみたいなものがあることを知り、
年が明けてから行ってみて、いろいろ調べて
M区の社会福祉協議会と二つの特養の採用試験を受けることに決めた。

履歴書などを送って、最初に受けた特養の採用試験は、
募集定員が2名で30人くらいの受験者がいた。
面接試験は特に緊張せず、今と同じようなキャラクターのまま
素で勝負した。

試験日の数日後に採用内定の電話が来た。
結局、他の採用試験は受けずにそこに決めた。
私は、特に資格はなかったが、当時はそんなもんだった。
先輩には、W大中退、高校中退などで資格も持っていない方も
何人かいた。

今思うと導かれるようにして特養に勤めることになったような気がする。

話は違うが先日の尼崎の列車転覆脱線事故で107人の方が亡くなった。
あの日、いつもだっらあの電車のあの車両に乗っていたのだが、
たまたま出張で乗らなかった人、遅刻して乗れなかった人など
いたかもしれない。

ふりかえると私の人生の転換期には
何か運命的な出来事があったと感じる。
ていうか、運命的なことがあったから、転換したのか?
まぁ、人生の節目には、導かれるように思いもしないことが
起こっている気がする。
考えすぎかな?



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