松浦俊介Top「コラム」ダイジェスト>平成18年1月13日(金)

憤死の話



友人とひょんなことから憤死の話になった。

友人:歴史上の人物で『憤死した』とか出てくるけど
   考えてみると憤死ってすごい言葉だよね?
私:今の時代、憤死って聞かないよね?
  ニュースや新聞で、「どこどこの誰々が憤死しました」なんて
  ないよねぇ。

なんて半月前に話をしたら、その友人が歴史上憤死したと思われる
人物を調べてきてくれた。

その前に、憤死とは何か広辞苑を見ると
「憤慨して死ぬこと」
と出ている。

怒りすぎて死んでしまうとはどういうことだろうか?
歴史上の人物を上げていくと

○崇徳天皇
 1156年、保元の乱をおこし後白河天皇と戦うが敗れ、
 配流先の讃岐国で五部大乗経の功力を悪の道に捧げ憤死。

○後鳥羽上皇
 1221年、承久の乱を起こすが、大敗して隠岐に流される。
 絶海の孤島で、望郷の念に身を焦がす日々を送ったのち、
 1239年、失意のうちに憤死。

○後醍醐天皇
 足利尊氏の造反にあい、吉野に亡命して南朝を興したが、
 1339年、失意のうちに憤死。
 「太平記」によると亡くなる間際、左手に教典(法華経)、
 右手に剣という文殊菩薩の姿をして死んだとされる。

○菅原道真
 異例の出世を遂げた道真は、901年藤原時平など反道真派による
 謀略で太宰府に左遷させられる。道真は、望郷の念を抱いたまま、
 2年後、失意のうちに憤死。

など簡略化して抜粋したけど、
友人はローマ教皇、三国志の例等も挙げて、
17人の憤死したと言われる歴史上の人物を調べてきてくれた。

菅原道真は、言われ無きひどい仕打ちで無念な死に方をした後、
天災などが続き、それが道真の怨念と思われて、
道真を祀る後の太宰府天満宮、学問の神として祀られる
北野天満宮(全国14000もの数に上る)が建立される。

理不尽な仕打ちをされて非業の死を遂げるということは、
現代の日本においてはあまりないかもしれない。

しかしながら、もともと高血圧や
疲労がたまっている方などが極度の興奮や緊張状態に
陥って心臓に負担がかかるようなことになったり、
脳卒中のような病気になって亡くなることはあるのかもしれない。

怨念とまではいかなくとも
人に対して不条理なことをすれば、やっぱり自分に返ってくるだろう。
因果応報ってあると思う。

憤死は極端な話だけど、
自分がもうダメポになったときは、
「オレの人生最高に幸せだった!」とつぶやきたいね。 



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