松浦俊介Top「コラム」ダイジェスト>平成18年7月9日(日)

鉱山の街



「自治体の倒産」シリーズで夕張市のことを
けちょんけちょんに書いたけど、
ちょっと違う視点から考える。

夕張市の前、1992年に財政再建団体になった
福岡県の旧赤池町(現福智町:2000年に黒字化し再建終了)も
産炭地だ。

夕張市は、明治25年(1892)から100年もの間、採炭を行い、
エネルギー源や鉄鋼原料として石炭を供給し続け、
日本の近代化、戦後の復興、昭和30年代までの
経済成長の原動力となった。

夕張市はないが、
栃木県の旧足尾町(現日光市)へ行ったことがある。

旧足尾町は渡良瀬川の上流に位置し、
昭和48年に閉山した江戸時代から400年続いた銅山の街だ。

鉱毒事件で有名になったところだけど、
山は、ハゲ山どころか土砂も流出し骸骨のように岩肌がむき出しだ。
製錬所は、操業停止して何年もたっていると思うけど
こちらも骸骨のように鉄筋むき出しで朽ちている。
街自体に生気が全く感じられない。

誰も住んでなさそうな社宅がある。
映画「幸せの黄色いハンカチ」に出てくるような平屋が並んでいる。
夕張市もこんな感じなのかなと思った。

旧足尾町の人口は大正5(1916)年には
3万8428人で栃木県内でも第2位であった。

しかし昭和になると鉱害問題も相俟って、
足尾銅山の衰退とともに人口は減少し、3,266人
(2005年4月1日)とやはりこちらも
最盛期の10分の1にまで落ち込んでいる。

さらに少子高齢化も進み、
15歳未満人口が8.1%、65歳以上人口が39.7%(2000年)となっている。

■2006/07/09 (日) 鉱山の街(2)

鉱山・炭田の街は、鉱脈が山間部や僻地にあるところが多いので、
交通の便の悪い地域が大部分である。
だから、閉山すればほかに産業もなく
人口流出に歯止めが利かない。

でも閉山後も、衰退することなくうまく他の産業へ
移行できたところもなくはない。

福島県いわき市の常磐炭田は、
昭和51年、最後の山、常磐炭鉱西部鉱の閉山をもって
歴史の幕を下ろした。

しかしながら、石炭産業が斜陽しだした
その10年前に温泉を利用した「常磐ハワイアンセンター」ができ、
その後、同施設は「スパリゾートハワイアンズ」となって、
今では、年間100万人を超える観光客が訪れる
テーマパークとなった。

夕張との違いは、「常磐ハワイアンセンター」が
従業員の雇用とその家族の生活を守るために
炭鉱会社によってできた
民間主導の開発であったことだ。

鉱山の街は、日本の重工業分野で大きな役割を果たした。
日本の近代化の屋台骨を背負ってきたと言っても過言ではない。

そうした街の栄枯盛衰は、他の自治体とはまた違った大きな意味を持つ。

(付記)
現在、石炭を掘っているのは北海道釧路市の太平洋炭鉱と
長崎県外海町の池島炭鉱だけである。

◎夕張市
http://www.city.yubari.hokkaido.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=AM020000

◎旧足尾町製錬所
http://www.city.nikko.lg.jp/kankou/ashio/meisho/asioseirenjyo.html

◎いわき市
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=AM040000

◎石炭コーナー(九州大学総合研究博物館)
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/MINE2001/02menu.html



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