松浦俊介Top「議員活動・議会・町政報告」>平成17年6月27日(月)

三島市と長泉町の合併問題



今日から、伏見区公民館を皮切りに来月下旬まで
市町村合併地区懇談会が開催される。

そこで、先月取り上げた昭和38〜39年のコンビナート計画の問題に続き、
http://matsuura.fc2web.com/gikai/050504.htm

沼津市・三島市・清水町の合併に関するこれまでの動きを、
40年前を中心に当時の新聞や市史・町史をひもときながら、
いろいろまとめていきたいと思う。

6月23日に三島市議16人(緑水会・12人/新未来21・4人)による
「1市3町を考える」合併推進議員連盟の
設立総会が開かれたという。
※1市3町(三島市・函南町・長泉町・清水町)

三島市議会は、先の清水町からの住民発議による
2市2町(沼津市・三島市・函南町・清水町)の
法定合併協議会設置議案を否決した。

その大きな要因の一つに、
この枠組みに長泉町が入っていないことがあげられた。

三島市と長泉町の合併問題は、
半世紀近く遡らなければならない。 

そこで、昭和38年12月18日に静岡新聞から、
当時の三島市と長泉町の関係を見てみる。

この前の14日に、コンビナート計画に併せた形で
2市1町の合併に向けての東部広域行政連絡協議会という組織ができた。

この組織は、もちろんその後頓挫するのだが、
三島市には三島市の考えがあった。
その一端がわかる記事。

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三島市が合併申し込み
長泉町 研究協議会設置へ             静岡新聞 昭和38年12月18日

【沼津発】駿東郡長泉町の12月町議会定例会は、24日開かれるが、この議会で同調と三島市との合併についての研究協議会が設けられる見通しが強い。
 三島市は現在沼津市および駿東郡清水町との三市町合併の一員として、さる14日沼津市で東部広域都市行政連絡協議会を持ち、三市町が大同団結した新市実現への基本方針を決めたばかり。もちろんこの基本方針の中には“周辺町村も含む”との一項目が加えられているものの、東部広域都市の中核となる三市町の中の一市だけが特別に隣接町へ合併を呼びかけることに対して、沼津市などその他関係者から疑問の目と不可解な感情が向けられている。
 沼津、三島を中心とした地域の長泉町はじめ裾野町、原町、函南町、韮山町、伊豆長岡町、清水町などは、いずれも沼津、三島両市合併のときはそろってこの合併に参加するとの申し合わせが非公式に出来ている。そこで三島、長泉の単独合併が抜け駆け的に実現すれば、東部広域都市の誕生には微妙な変化がかもし出されることが予想される。
 三島市が長泉町に合併を申し入れたことは、東洋レーヨン三島工場のほとんどが長泉町内にあること、ここから生じる固定資産税そのほかの税収関係などが主な理由となっている。長泉町の電話は三島局であることもこうした動きの中の一要素となっている。
 長泉町としては「正式に合併の申し入れがあったが、町民感情の動きにはきわめてデリケートなものがある。議会では研究協議かをもつことになるが、あくまでも沼津、三島を中心とした大同合併が前提である」=高橋町長談=という立場をとっている。同町の場合は昭和35年、永井前町長の当時に三島市と合併する話が実現一歩手前まで行ったが、一部町民の強い反対気勢の中で流産し、その直後の町長選で永井前町長が現高橋町長に敗れるといった一幕があったので、三島市側の申し入れに対する町の動きは微妙。
 関係者の中には長泉と三島の合併が実現すれば、清水町はこれと合併する動きが強く出るので、その段階での沼津と三島の合併は難しくなるだろうと見る向きも多い。沼津市の西で隣り合う原町としても、大同合併の時には・・・といった前提で町政を実施していく方針が見られるだけに、沼津、三島両市が合併の話し合いを進める中で、それぞれが別個に周辺町村へ独自の立場で合併を呼びかけて行った場合、気勢の三市町連絡協議会の性格もおかしくなるのではないか・・・といった見方が生まれてきている。

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まだ、新幹線も開通していない時代の話である。
45年前の昭和35年に三島市と長泉町が合併していたら、
今、清水町はどうなっていただろう?
県東部の地図は大きく変わっていたかもしれない。
三島市にとって長泉町との合併は悲願である。

歴史は、繰り返す。
結局、本質的な問題は変わっていない?


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