松浦俊介Top「議員活動・議会・町政報告」平成18年5月7日(日)

「石油コンビナート進出計画-その1」(議会だより)



議会だより」4月30日号の「そこんとこ教えて!!」の第3回、
「石油コンビナート進出計画-その1」について掲載します。

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このコーナーでは、住民の皆さんが常日頃、
疑問に思っていることを、清水町議会議員と住民の方との対話を通して、
説明していきます。

〜石油コンビナート進出計画-その1〜

(町民)
 昔、清水町にコンビナート進出の計画があったって聞いたけど?

(議員)
 昭和39年から沼津市、三島市、清水町にコンビナート進出計画が
本格化しました。
 この計画は、当時の県が強力に推進して、
このコンビナートを「静岡の基幹産業」とし、
県内工業の飛躍的な発展と沼津・三島地区の港湾、
道路等の整備もし直す計画でした。

■2006/05/07 (日) 「石油コンビナート進出計画-その1」(議会だより)2

(町民)
 清水町はどうなる予定だったの?

(議員)
 清水町には住友化学が今の卸団地付近に、
また、三島市には富士石油が進出する計画で、
 両方併せて1日64万トンの水を必要としました。
その水は、それぞれ柿田川から用水路を引く計画でした。

(町民)
 住民から反対運動が起きたんだよね?

(議員)
 三島市、沼津市、清水町でそれぞれコンビナート進出の
反対運動が起きました。
 清水町では昭和39年1月から商工会、PTAの一部、
女性有志等が集まって、バスで四日市へ見学し、学習会を開くなどしました。
 この動きは清水町石油コンビナート反対町民会議という団体となり、
この団体が、3月議会に石油コンビナート反対決議請願書を
5120人(当時有権者7300人)の署名と合わせて議会へ提出しました。

(町民)
 それで、その誓願はどうなったの?

(議員)
 3月議会最終日に傍聴者50人が見守る中採択が行われ、
出席議員19人中誓願に賛成9名、反対9名と同数になり、
最後に議長が加わって賛成とし、議会としてはコンビナート進出には
反対という議決になりました。

(町民)
 この議決はどれだけの影響があったの?

(議員)
 この時期、県議会では知事が誘致に努力する旨を表明して、
コンビナート建設は県政の最重要課題とされた矢先に沼津市、
三島市に先駆けて清水町議会が一票差で反対の議決をしたことは
大きな波紋を呼びことになりました。

(町民)
 当時、町長も何度も替わったって聞いたけど?

(議員)
 昭和39年の1月に高田町長が辞意を表明、
翌月の町長選挙で農協組合長の関本嘉一郎氏が反対派の候補者を
破って当選しました。
 しかし、関本町長は4月にわずか2ヶ月で辞表を提出、
5月に無投票で町議多数と商工農業者らが多数推す元議長の鈴木秀作氏が
無投票で当選しました。
《つづく》

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